1998年12月号
発行こぶし編集部
第125号
『-精神科医の戯言
年末大売出し
チホー家の人々
また家族が増えてしまった!-』
三田村 幌

・多様性を認めること
今年も間もなく終わる。大予言まであと7ヶ月、と言っても私はノストラダムスを信じてない。
幸か不幸かこの世界は21世紀まで続く。
歴史は続くが、「チホー家の人々」というこのタイトルに笑えるのは今の若者ではなく、昔若者だった私と同世代の方々だけだろう。
私たちがまだ若い頃、時代と人生に悩み多くの若者が手にした本がヘルマン・ヘッセの「車輪の下」やマルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」だった。
今の若い人にはこうした共通の愛読書があるだろうか?多分無い、それで良い.出版物も膨大な量になり、若者の関心や志向も多様化している。
しかし現代の「存在の多様化」が相互にその「多様なる存在」を認め合えているだろうか、と言うと少し不安を覚える。
存在の多様性を認めない心に「日本単一民族」や「みんなで渡れば怖くない」式の心と、そこから少しでも違うものを排除する差別思想へとつながり、イジメや「障害者」や民族の問題の土壌を作る。

・「ナナ」登場! 格調高く始まった話、実は我が家を「痴呆家の人々」と形容したくなり、ふと「チボー家の人々」を思い出しただけ。
家族がまた増えてしまった。
10月11日、久々にゴルと山越えの散歩をした。
頂を越えたところで動くものを見つける。動物だ、狐か?ゴルが近づいても逃げない、いや動けない衰弱した子犬だ。
周囲の糞は白くて硬くもう1週間もそこにいるのか。耳や首には虱がビッシリ。あと数日で死ぬだろう。
放置も出来ず妻と我が家に運ぶ。結局衰弱回復と虱駆除のために短期入院。良く見ると超小型のシェルティで皮膚も歯茎も高齢である。
推定12歳、人間に換算すると私の母と同い年だ。
声も出ず怯えるだけで適応も出来ない老人がまた一人(?)。
名無しの権兵衛と命名しようとしたら雌、そこで名前は「ナナ」。

・被虐待児症候群・愛情剥奪症候群・愛情剥脱性侏儒
シェルティにしても小さい。恐怖に両耳を伏せてシッポは股間にたたんでいる。
彼女の人生、いや犬生はどうだったのか?もちろんオテもオスワリもできない。
ただ飼われて捨てられた?人間でも被虐待児症候群・愛情剥奪症候群が問題になる今日だが、愛情をもって育てられないと身体的な成長も止まり小さいままになってしまう(愛情剥脱性侏儒)。
さらにその劣った鼻には深い傷が残っている。
お腹にも切った傷がある。妊娠も繰り返したようだが。
ブリーダーに利用され捨てられたのか。「従軍慰安婦みたいに」というのは妻の弁。

・PTSD(Post Traumatic Stress Disorder心的外傷後ストレス障害)
もちろんナナのこうした現在は過去10年余の結果でもあろうし、それをいろいろと推測もできる。しかしそれ以上に、あの寒い山の中に捨てられた事件が、例え数日であったとしても小さな室内犬には大きく影響したのであろう。
阪神大震災以来注目されたPTSDというのがそれである。
それは災難が去った後もなおいつまでも心身にとどまり、音や光など外界のホンの少しの変化にも恐怖を募らせ続ける。
それでいて乗用車が通ると声にならぬ声を出して追いかけようとする。
車で連れて行かれ捨てられたのか。私も今まで数多くの犬に会っているが、時間を費やしてもナナほどに心開かぬ犬は初めてである。

・「楢山節考」
深沢七郎にこんな小説があった。
年老いた母を山に捨てる物語である。ナナも老いて役立たずになり捨てられたのか。
命あるものが他者の必要によってのみ、その存在までが左右される。姥捨山は無くなっても現代の老人にも通じる。
ナナも数日には狐か鳶につつかれて、残骸に他の虫が群がっていただろう。
拾ってきたナナは臭かった。耳漏もあり、陰部からの出血は子宮蓄膿症で卵巣子宮全摘術を入院中に余儀なくされた。
病者故に捨てられたのか。

・コミュニケーションの必要
年老いた室内犬のナナは体毛も薄くとても冬の外で飼うことは出来ない。
何度も洗って家に入れるが、そこにゴルとポンとオバーチャンがいる。
外見の違う異分子はイジメにあう。それを克服するのがコミュニケーションである。
しかしナナは発声が出来ない。彼女の喉に古い傷がある。団地住まいなのか、旧飼主は彼女の声帯を切ったのである。
そこまでするなら何故最後まで責任を持たぬ!怒りが再びこみ上げる。
ウチにも筆談や読唇でコミュニケーションをとる受診者はいる。しかしそれも努力によって可能である。
ゴルやポンはボディ・ランゲージも得意だがPTSDの彼女にはそれも出来ない。

・系統的脱感作
新社会はナナに非常にストレスである。
PTSDを含めてその治療には系統的脱感作が採られた。お互いの出会う時間を少しずつ増やしていくのである。
ストレスだからと言って回避するだけでは問題の解決にならないのは人間も同じ。
これから生きていく社会に少しずつ慣らさなくてはならないのである。理屈だけでない「行動療法」のひとつである。

・ポンのストレス とかくするとナナのストレスにばかり目がいく。
少数の社会に新参者が入るとそれは他の者にもストレスとなることも忘れられない」。
人間でも年少者のイジメではそれも考えなくてはならない。
ゴルで犬に慣れているポンではあったが、ナナにはシッポを膨らませて怒る、そして逃げる。ゴルでさえ私や妻がナナに声掛けを多くすると不安になるのである。

・オバーチャンとナナ
こうしながらも除々に系統的脱感作は進む。やっとお互いにその異なる存在を認め、ナナも当初よりは胸襟を開く(?)ようになった。
なんと、何でもすぐに忘れるオバーチャンがこのナナのことだけは忘れない。
痴呆老人の記憶の構造はどうなっているのだろう。
「オシッコ、オシッコ」ばかり言って起きあがるオバーチャンがナナを抱いていると長時間横になっていることもできる。
ナナはじっと我慢をしている。現代の「老老介護」である。
しかし、どっちがどっちを?まあ、こう問題を建てること自体が現代的すぎるのだろう。
所詮我が家は若くてもポンの8歳、ネコ年齢を人間にすれば・・。
超高齢化家庭の中で大きさも毛色も、習慣から理解の度合いも全く違う3人と3匹がその多様性を認めあいながら生きている。

・~~~読者の広場~~~
『日記の進め』
日記を書くようになって、だんだん自分の思っている事が人にも言えるようになってきた。
自分の母親にも主人にも主治医にも言えない事があって苦しんでいても、日記に書くと心の整理がついてくる事がある。
今、現在、日記は私の心のカウンセラーになっている。
死にたいと思っていた時、いつ死ぬかわからないので後に残る日記など書けないと思っていた。
けれど、子供が9ヶ月になった頃、育児日記として書いてみた。最初は本音では中々書けなかった。
自分の弱さ醜さをさらけだす事ができなかった。
事実、あった出来事を毎日ではなくポツリ、ポツリと書いた。

・1年程たつと色々自分の気持ちをおりまぜて書くようになった。
そのうち、自分の気持ちを素直に書いて後で読み返すと、書いた時には気づかなかった点に気づく事がわかった。
時間が経ってからゆっくりと考える事により(2~3日後の事も、数年も経ってからの事もありました。)解決には至らないにせよ、何でその時そんなに思いつめたのか!!とか、今は前より良い方向に向かっていると考えられたりして!!最近は何か自分の心に押し込めていられない事、辛い事、悲しい事、困った事があった時、昨年の日記をパラパラとめくり...。
前にも似たような事があったのに進歩していないなあ!!と反省する事もたびたびである。

今年もあと少し、自分の気持を素直に人に言えない方、うさぎ年の初めから日記をつけてみてはいかがでしょうか。

・『しし座流星群観測』
淋しい、なんて気持をふっとばすがごとく、中札内までしし座流星群を見に行ってきました。
17日の朝に札幌を出発したのですが、新聞でも、TV、ラジオでも天気予報は最悪。
道新には「しし座流星群観測ピンチ!?-残念ながら...道内は大荒れ予報」なんて見出し。
(思わず、その記事を叩いてしまいました。)何の為に、中札内までいくのだろう?
なんて考えつつも、雪の降る中、苦労し自動車を走らせたのです。
TVの予報を聞き、半分断念しつつも観測隊は夜半まで少しでも晴れ間が出るのを願っていました。 そう、そして、1時過ぎでしょうか、
予報をひっくり返して晴れ間が覗いてくれたのです。
しし座を中心として流れる光。やった!見えたじゃん!
雪が多い中でも30個位は確認できたと思います。でも、流星の多く流れる時間は過ぎてしまっていました。
「晴れろ、晴れろ、流れろ、流れろ!」。晴れてくれただけで満足すべきなんでしょうね。でも、ちょっと残念。
もっと晴れてくれたらなぁ。もっと、早く晴れてくれたらなぁ。なんて思ってしまうのでした。来年、また見に行くつもりです。
今回の教訓!『あきらめてはいけない!』